[本]

「世間さまが許さない!」読了。 / 2009-06-11 (木)

 えらい久しぶりの本の感想です。というか書くのいつ以来だろうと思ったら…2006年以来でした(苦笑)。

 さて、という訳で、2年半ぶりのネタ(笑)は、岡本薫氏の『世間さまが許さない!-「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」』(ちくま新書)。

 この本は、端的にいうと、日本人が元来持っている性質と、戦後日本に導入された民主主義がいかにミスマッチをもたらしているかということを、分析しているものです。

 本文に先駆ける形で、民族の特質というのは「優劣をつけるものではない」ということが、まず論じられます。 各民族の特質は、「向いてる」ものと「向いてない」ものがあるだけであって、絶対的な基準は存在しない。 特質に優劣をつける場合、基準をどこに置くかでまるで変わってくる。

 一例を挙げれば「豊かな生活」と一口にいった場合、この定義を「金銭的に恵まれて、各種ハイテクに支えられた生活」とするか、 「本来の人間が持っている自然と共生する生活」とするかによって、優劣はほぼ正反対になってくる。

 このように、ある民族の視点が常に基準におかれるため、民族の優劣は何らか偏向したものでしかありえない。 こんな感じで、まず著者は感覚をニュートラルにせよと迫ってきます。

 次に語られるのが、日本人のもっている特質。 著者によれば、日本人が元来持っている性質は、「価値判断の基準を世間一般の考えにおく」、 「誰もが同じモラル感覚を持っている(持てる)はずだと信じている」、 「ルールよりもモラルを重んじる」ことだと論じている(これら特質をまとめて「日本的モラリズム」と呼んでいる)。

 これに関しては、否定する人はほぼおらんでしょう。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではないですが、みんなと一緒で安心というメンタリズムは多かれ少なかれ、日本人は感じているかと。

 それに対して、本来西欧人の特質に向いている制度である、「自由と民主主義」というのは、「個々の内心がバラバラであることを前提にして」、 「一般に迷惑をかける行動のみをルールで縛る」という仕組みであるとする。 すなわち、「内心で何を考えていても問題がなく」、「ルールに反しない限りは行動も自由であり」、 「ルールに違反した場合はその責任として罰則が課される」という仕組みですね。

 これも、皆理屈でわかっていることだと思います。ある部分に多少引っかかりを覚える人もいるでしょうが、基本的には「自由と民主主義はそういうものだ」というでしょう。

 ここから、著者の分析が本格化します。 日本では「自由と民主主義」が導入されているが、同時に「日本的モラリズム」も生きている。 しかし、この2つは時に相反する要素ではないのか(つまり、日本人は自由と民主主義は向いていないのではないか)と論じます。

 これの端的な例として「ルール違反ではないのに、モラル基準に照らし合わせて社会的な批判が浴びせられる」とか、 「本来、システムの問題なのに、モラル(要するに根性論)で解決しようとする」、 「ルールに明確に違反しているのに、モラル基準で理解できると、許されてしまう」ことなどが挙げられています。 確かに、前述の「自由と民主主義」の前提に立てば、矛盾に満ちた行動といえるでしょう。

 本書では、この後「自由と民主主義によって、日本的モラリズムがいかに機能不全を起こしているか」、 「日本的モラリズムによって、自由と民主主義がいかに機能不全を起こしているか」という両面から多くの具体例が挙げられていきます。

 特に強調されているのが「自由と民主主義を導入して、内心はバラバラになるべきという方針であるはず(そして、実際にばらけてきている)なのに、 相変わらず、すべての人間が同じモラル基準を共有しているはずという日本的モラリズムに(無自覚で)どっぷりとつかっている」ということです。

 詳細な内容は是非、一読してもらいたいのですが、個人的に非常に得心した例は、この辺。

「いわゆるモンスター○○や、クレーマーといわれる人達は、旧来の日本人とは異なるモラル感覚を持っているが、 すべての人間が同一のモラル基準を持っているはずという、日本的モラリズムの前提に立って対応している。 だからこそ、彼らのモラル基準では、間違ったことが行われている(=悪)のに対して、『善意』で抗議を行っているのである (むしろ、他の人が抗議しないことが不思議でならない)」。

「国際的な交渉においてさえ、すべての人間が同じモラル基準を共有できるはず、という前提に立脚している」

 わたし自身、えろげ規制の請願が出たときに 「最近ともすれば「自分が不快であること」を「社会通念上許されない」という、言葉の置き換えで表現する人が増えているように思いますが」 という文章を書いてるのよね。

 前述の通り、これが「実際は内心がバラバラなのに、自分が世間一般とモラル基準を共有しているということを信じて疑わない」ということになるわけだ。 まぁ、確かに日本人って、社会通念上のモラル違反を、「悪」として糾弾してきたという前提はあるわけだしなぁ。 そういう意味では、THE日本人的なモラリズムの発動なのかも知れない(まぁ、えろげーまーがニュータイプかっていうと、それもなんか違う気がするが)。

 まぁ、えろげ規制の話に関しては、規制論者がモラル違反=悪という思想から抜け出せないのであれば、 規制論者と議論の余地はないわけで、そうすると、言葉は悪いけど、批判をいかにかわすのかという方向性で考えないとしょうがないんじゃないかと。

 もっとも、サブカルである以上、「目をつけられない」ということが一番大事なんですけどね(最近、それがわかってない人も多いようだけど)。

 閑話休題。本の話に戻ろう。

 全体を通してみると、正直、ところどころ「?」という内容は含まれているし、諸手を挙げて賛同する気もないですが、 日本の状況をきちんと捉えていると思うし、常に社会について色々考えている人にとっては、新たな視点を与えてくれる一冊だと思います。 ここまで読んでみて興味が沸いた人は、是非読んでみて欲しいです。突っ込みいれながら読めばいいのよ(笑)。

 あぁ、そうそう。最後の章に、ルールよりも世間さまのモラル基準を重視するのであれば、いっそ「自由と民主主義」を捨てて、 世間さまに基準をおいた「世間さま制」を実施してみれば、という思考実験がありますが、間違ってもこれを本書の結論として受け取らないこと。 あくまで思考実験として、想像の翼を広げてみるのをお勧めします。 どこが実際取り入れられそうか、どこが実現性が薄いのか、そういうのを考えてみるのが面白いと思う。

 というか、この「世間さま制」の思考実験は、実はこの本全体の確認テストなんじゃないかという気さえする。 一応、ニュートラルの状態で検討してみた結果、「モラル的」な実現性は置いとくとしても、「システム的」に実現が難しい要素が多々含まれているんだよね。 どうも、読み終わって数日経った現状では、著者から「きちんと、モラルとシステム分けて検討できましたか?」って言われてる気がしてならないのよ。

 とりあえず、久々に新書で読んで良かったと思えた本でした。


■『世間さまが許さない!-「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」-』
 (岡本薫著、ちくま新書)

 ・Amazonの商品ページへ

 ・bk1の商品ページへ